ダイアンのユースケは、全キャラ分のセリフをわずか1日でほぼ収録しきっています。
アニメ作品の声優といえば、プロの声優が担当するのが一般的な常識です。ところが『オッドタクシー』は、その常識を真っ向から覆す判断を下しました。制作を手掛けたP.I.C.S.の木下麦監督は、「この作品のコンセプトが『耳で音だけ聴いていると実写ドラマみたいに感じられること』だった」と明言しています。
アニメ的な誇張した演技ではなく、日常にある自然な会話のリズムを最優先にした結果、お笑い芸人やラッパーへのオファーという決断が生まれました。つまり、「うまいアニメ演技」より「リアルな人間の声」が条件です。
プロデューサーの平賀大介氏も「作品はゴチャゴチャした日常の雰囲気が魅力で、異なる業界の人々に届けるためにも、各ジャンルの本職の方に参加してほしかった」と語っています。アニメファンだけでなく、お笑いファンや音楽ファンも自然に引き込む入口を複数用意する狙いがあったわけです。これは使えそうです。
さらに技術的な側面でも、芸人起用を可能にした大きな要因がありました。収録方式として「プレスコ(プレスコアリング)」が採用されています。プレスコとは、映像に声を合わせる「アフレコ」とは逆に、先に音声を収録してから映像をそれに合わせて作る手法です。尺に縛られず自分のリズムで喋れるため、収録に不慣れな芸人やラッパーでも本来の会話の間(ま)を発揮しやすい環境が整いました。プレスコが条件です。
この判断が功を奏した結果、2021年放送のTVアニメ版は第25回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門新人賞を受賞。Crunchyroll Anime Awards 2022でも2部門を制覇しました。放送終了後に実施したBlu-ray BOXのプロジェクトでは、予想を大幅に超える6,038セットの受注を記録しています。東京ドームのグラウンド面積を約1万3,000㎡とすると、6,038セットという数字はいかに熱量の高いファンが支えていたかを物語っています。
シネマトゥデイ|「なぜ声優に芸人を起用?」キャスティング秘話を企画プロデューサーが語ったインタビュー記事
お笑いコンビ・ダイアンが担当したのは、作中に登場する架空の中堅漫才コンビ「ホモサピエンス」の2人です。ボケ担当のイノシシ・柴垣をユースケが、ツッコミ担当のウマ・馬場を津田篤宏が演じました。
実際のダイアンと役柄が鏡映しのように重なる設計になっており、柴垣はお笑いへの熱い信念を持ちながら野心家、馬場は温厚で能天気という関係性です。ユースケ自身は「柴垣は、監督と2人で作った共同作品」と表現しており、監督からのリクエストに応えながら役を積み上げていった様子が伝わります。
収録のエピソードが特に興味深いです。前述のとおりユースケは、柴垣の全セリフをほぼ1日で収録しきったとラジオで明かしています。通常の声優が複数回の収録セッションを重ねることと比較すると、驚異的なペースです。津田は「普段より声のトーンを抑えてやるのが難しかった」と振り返っており、普段の激しい立ち回りとのギャップに苦労した点が伺えます。
この仕事ぶりが業界の先輩にも届きました。ダイアンにハマった先輩芸人・東野幸治は、自身のラジオ番組で「ダイアンの代表作は『オッドタクシー』」と断言しています。芸歴20年以上のキャリアを持つ2人にとって、アニメ声優がまさかの代表作に挙げられるとは予想外の展開だったでしょう。これが「ほぼ初めてとは思えない」という周囲の評価に直結しています。
実際のダイアンのラジオ『ダイアンのTOKYOSTYLE』を聴くと、ホモサピエンスのラジオシーンと声が一致して聴こえる「現象」が視聴者の間で話題になりました。キャラクターと演者の境界が溶けるほど、リアルな演技が作品に溶け込んでいます。
crank-in.net|ダイアンが声優体験と役柄への思いを語ったインタビュー(東野幸治の「代表作」発言も紹介)
ミキ(昴生・亜生)が演じたのは、ミーアキャットの一卵性双生児・大門兄弟です。双子の警察官という役柄で、実の兄弟を起用するというリアリティにこだわったキャスティングです。
弟の亜生は、2019年のディズニー映画『ライオン・キング』でも声優参加した経験があり、比較的収録に慣れている状態でした。一方、兄の昴生はアニメ声優が完全初挑戦。大門兄の役柄が標準語でクールな人物という設定だったため、普段の関西弁から抜け出せず相当苦労したことが各所で語られています。
「あんな声、普段出したことない」という昴生の言葉がすべてを物語っています。収録現場では監督に向かって「どうしたらいいか分からん!」と嘆く場面もあったと記録されており、プレスコの収録時間が長引いて制作スケジュールに影響が出るほどでした。厳しいところですね。
それでも最終的に、亜生は映画の舞台あいさつで「見どころは我が吉本興業の芸人の声優力」と力強くアピールするまでに。第13話のクライマックスで大門兄弟が見せるやりとりは、実の兄弟にしか出せないリアルな感情の揺れが宿っており、多くの視聴者の心を掴みました。
この「苦労して掴んだ自然さ」こそが、大門兄弟をただの脇役キャラクターで終わらせず、視聴者の記憶に残るキャラクターに押し上げた要因です。プロの声優が完璧に演じきるのとは異なる、言葉では説明しにくい「生の質感」が宿っています。
ORICON NEWS|ミキ・昴生が「あんな声、普段出したことない」と語った収録の苦労を報じた記事
ダイアンとミキ以外にも、本作には複数の芸人・著名人が声優として参加しています。まとめると以下のとおりです。
| キャラクター名 | 役柄 | 声優(芸人/著名人) |
|---|---|---|
| 柴垣(ホモサピエンス) | 中堅漫才コンビ・ボケ | ユースケ(ダイアン) |
| 馬場(ホモサピエンス) | 中堅漫才コンビ・ツッコミ | 津田篤宏(ダイアン) |
| 大門兄 | 双子の警察官(兄) | 昴生(ミキ) |
| 大門弟 | 双子の警察官(弟) | 亜生(ミキ) |
| 樺沢一馬 | 自称SNSインフルエンサー | たかし(トレンディエンジェル) |
| タエ子 | サウナ従業員 | 村上知子(森三中) |
| ガーリィレコード関連キャラ | − | ガーリィレコード |
| ヤノ | ギャング | METEOR(ラッパー) |
プロの声優陣としては、主人公・小戸川宏を花江夏樹、ヒロイン・白川美保を飯田里穂、剛力歩を木村良平、柿花英二を山口勝平が担当しています。これだけ豪華な声優が揃っているにもかかわらず、芸人陣の存在感が際立っているのが本作の面白さです。
ポイントは、各芸人が担当するキャラクターのジャンルと自身の本職がリンクしている点です。お笑いコンビが架空のお笑いコンビを演じ、双子の兄弟が双子の警察官を演じるという構造は、偶然ではなく意図的な設計です。この「本職の人に本職を演じさせる」という発想が、リアリティを最大化させています。
結論は「本職×本職の化学反応」です。これがオッドタクシーの声優キャストを語るうえで最も重要なキーワードといえます。
本作をより深く楽しむために知っておきたいのが、オッドタクシーは「会話劇」として設計されているという点です。ほとんどの情報が、タクシー内や日常的な場所での対話を通じて明かされる構造になっています。
この会話劇の質を支えているのが、芸人たちの「間(ま)」の感覚です。お笑い芸人にとって「間」は生命線であり、何秒のどのタイミングで声を発するかという訓練を何年も積み重ねています。プロの声優が「演技」として間を作るのとは異なり、芸人にとっての間は体に染み込んだ本能に近いものです。
木下監督のインタビューでも「間や話し方が大事だと感じたので、本職の方にお願いした」と明言されています。脚本を担当した此元和津也の台本が「お笑いの要素が強く、会話劇として非常に面白い」ものだったことが、この判断を後押ししました。
独自視点として注目したいのは、芸人出演が「新しい視聴者層の入口」として機能した点です。通常のアニメは、アニメファンが先行して視聴するケースがほとんどです。ところが本作は、ダイアンや東野幸治がラジオで取り上げたことで、お笑いリスナーがアニメ視聴者へと転化する動きが生まれました。「オッドタクシーは声優が芸人じゃないと会社の先輩(非ヲタ)に勧められなかった」というSNSの声が象徴するように、芸人起用は従来のアニメ布教の文法を書き換えたともいえます。
実際のラジオ番組『ダイアンのTOKYOSTYLE』とオッドタクシーのホモサピエンスの放送シーンが重なって聴こえるという現象が多くのファンに共有されており、作品がメディアをまたいで体験として広がった稀有な例です。いいことですね。
声優×芸人という一見ちぐはぐに見えるキャスティングが、作品の根幹に深く根ざした必然の選択だったことが、時間を経た今だからこそより鮮明に見えてきます。オッドタクシーをまだ未視聴の場合、まずは第1話のタクシー内会話を「音だけ」で聴いてみると、この設計の巧みさを体感できるはずです。
アニメイトタイムズ|木下麦監督が「芸人を多数キャスティングした意図」をプレスコ収録の観点から詳しく語ったインタビュー