逮捕されて懲役12年を受けた周平は、「それでも母が好き」と言い残した。
映画『MOTHER マザー』は2020年7月3日に公開された日本映画で、PG12指定の作品です。監督は『さよなら渓谷』『タロウのバカ』などで知られる大森立嗣が務め、脚本は大森立嗣と港岳彦が共同執筆しました。
本作最大の見どころは、キャスティングの意外性にあります。それまで快活で明るいイメージを確立してきた長澤まさみが、働かず、男にだらしなく、息子を心理的に支配し続ける毒親・秋子を演じたことは、公開前から大きな話題となりました。
主なキャストは以下のとおりです。
| 役名 | 俳優 |
|---|---|
| 三隅秋子(母親) | 長澤まさみ |
| 周平(少年期) | 奥平大兼 |
| 周平(幼少期) | 郡司翔 |
| 川田遼(内縁の夫) | 阿部サダヲ |
| 高橋亜矢(保護司) | 夏帆 |
| 三隅雅子(秋子の母) | 木野花 |
息子・周平の少年期を演じた奥平大兼は当時16歳で、本作がスクリーンデビュー作です。彼は実質的な主役ともいえる存在感を見せ、第44回日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞しました。長澤まさみも同賞で最優秀主演女優賞を受賞しており、「親子ダブル受賞」として話題を集めました。
興行収入は約2億2,000万円。第75回毎日映画コンクール日本映画大賞も受賞するなど、映画業界から非常に高い評価を受けた作品です。
MOTHER マザー - Wikipedia(受賞歴・キャスト詳細)
物語は、シングルマザーの三隅秋子(長澤まさみ)が幼い息子・周平(郡司翔)を連れて実家に金を無心に来るシーンから始まります。元夫から毎月5万円の養育費を受け取っているにもかかわらず、秋子はそのほぼ全てをパチンコにつぎ込み、ガスも止まった部屋で息子と暮らしていました。
つまり、この時点ですでに「子どもを育てている母親」ではなく「子どもを道具として使う女」という構図が成立しています。
実家の母(木野花)と妹(土村芳)は愛想を尽かし、金を貸すことを拒絶。縁を切るとまで言われた秋子は、ゲームセンターで出会ったホスト崩れの川田遼(阿部サダヲ)と付き合い始めます。遼も定職を持たないクズ男で、周平を置き去りにしては何日も家を空けるという生活が続きます。
ある時、秋子と遼は詐欺まがいの行為で市役所職員を傷つけ、3人で逃亡生活に入ります。妊娠した秋子を遼は見捨てて去り、秋子は異父妹・冬華を出産。貧困と孤立はさらに深刻になっていきます。
保護司の高橋亜矢(夏帆)と出会い、生活保護や簡易宿泊所の手配をしてもらいます。亜矢の紹介でフリースクールに通い始めた周平は、初めて「外の世界」を知り、学ぶことの楽しさに目覚めます。これは作品の中で、周平にとって唯一の分岐点でした。
しかし秋子は周平がフリースクールに馴染みかけたタイミングで「あんたなんか学校行っても絶対いじめられる」「臭いと思われてる」と根も葉もない言葉を浴びせ、周平を外の世界から切り離すことに成功します。この一言が周平の自尊心を完全に砕き、母親以外の世界との接点を断ち切ります。
その後、秋子と遼の再合体・夜逃げ・工場寮での生活を経て、秋子は周平に工場の金を盗ませ、一家で失踪。これが事件へと向かう最後の坂道でした。
お金を使い果たした秋子は、追い詰められた末に周平に対してある「指示」を出しました。それは自分の両親、すなわち周平の祖父母を殺して金を奪えというものです。
結末が衝撃的です。秋子から何度も念押しされた末に、周平は祖父母の家を訪ねて2人を刺し殺します。母子はすぐに逮捕されますが、秋子は取調室で「自分は殺害を指示していない」「周平が勝手にやった」と徹底的に否定し、全ての罪を息子になすりつけました。
ここが最大のポイントです。母親の関与が認められれば、周平の罪は大幅に軽くなる可能性がありました。しかし周平も自らの単独犯だと主張したため、秋子には執行猶予、周平には懲役12年という判決が言い渡されました。
ラストシーンでは、保護司の亜矢が面会に行った際、周平が「それでも母が好きだ」と語ります。亜矢は釈放された秋子の元を訪れ、その言葉を伝えます。秋子は一人で古いアパートに座り込んでいます。娘の冬華は司法の判断で保護され、秋子の手元にはもはや誰もいません。
それでも母が好き、という言葉は心に突き刺さります。
無償の愛を持っていたのは、虐待され支配された側の周平であり、「産んだ子をどう育てようと勝手」と言い続けた秋子ではなかった。この逆説が、映画全体を貫くテーマといえるでしょう。
映画『MOTHER(マザー)』ネタバレ考察(考察ブログ・周平が祖父母を殺した理由を深掘り)
映画の原案となったのは、2014年3月に埼玉県川口市で実際に起きた「少年による祖父母殺害事件」です。当時17歳の少年が母方の祖父母を刺し殺し、キャッシュカードなどを奪ったという強盗殺人事件でした。事件当時、少年の背後に「母親の指示があった」と報じられ、その母親の毒親ぶりが社会的な注目を集めました。
事件の深層を丁寧に取材した毎日新聞の山寺香記者の著書『誰もボクを見ていない なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか』(ポプラ社)が本作の原案書籍にあたります。映画と書籍では視点が異なります。映画は母親・秋子の姿に焦点を当て、書籍は少年(周平のモデル)の視点から内側に迫るアプローチをとっています。
実話との大きな違いは「凄惨さの程度」です。映画鑑賞後にこの本を読んだ人の多くが「映画の何倍も現実は凄惨だった」と証言しています。ホテル生活・路上生活・ドヤ街での生活という映画の描写でさえ、実際の生活と比べればはるかにマイルドだったといいます。
また、実話では少年はパチンコで勝って日銭を稼いだり、妹を守りたいという強い思いを持っていたことが伝えられています。映画はこの部分をフリースクールのサッカーシーンなどで巧みに補完していました。
もう1点、重要な違いがあります。映画では「居所不明児童」という概念が重要なキーワードとして登場します。住民票がなくなるほどの転居を繰り返すことで、周平はそもそも「社会から存在を把握されない子ども」になってしまいました。こうなると家庭環境を改善する以前に、その子の存在自体を把握できなくなります。この「社会の暗部」を描いたことが、本作が映画賞を総なめにした理由の一つでもあります。
多くの鑑賞者が感じる疑問、それは「なぜ周平は母親の指示通りに人を殺せたのか?」です。これは映画の最も難解な核心部分です。
一言で言えば、秋子による「心理的支配の完成」がその答えです。
子どもにとって、ある時点まで「世界」は親と家族だけで構成されています。周平は小学校途中から夜逃げのような転居を繰り返し、住民票が失効して「居所不明児童」となりました。学校という社会的な場に属せなかった彼にとって、秋子と妹の冬華だけが「存在できる世界」の全てだったのです。
外の世界を知る機会が唯一あったのが、フリースクールに通っていた時期です。周平はここで初めて「別の世界がある」ことに気づきます。しかし秋子は「あんたなんかいじめられる」「臭いと思われてる」という言葉で、その芽をすぐに摘み取りました。秋子の言葉は一切根拠がなく、周平の成長への恐れから発せられたマインドコントロールの典型でした。
秋子が周平に言い続けた言葉「あれはあたしが産んだ子なの。あたしの分身。舐めるようにしてずっと育ててきたの」は、一見愛情のある言葉に聞こえますが、その実態は「お前は私の所有物だ」という宣言です。
社会を知らず、他者との比較もできない状態で育った周平にとって、秋子の「世界観」が唯一の基準でした。祖父母を殺せという指示を「異常な命令」として判断する外部基準が、彼の中に育つ機会がなかったのです。これは怠惰や冷酷さではなく、幼少期から積み重ねられた精神的な支配の結果です。
重要なのは、周平がラストで「それでも母が好き」と語ったことです。専門家の見解では、長期的な心理的支配を受けた人が「それでも好き」と感じるのは珍しくなく、むしろ支配が深刻だった証拠ともいえます。これは愛情の深さではなく、依存からの脱却が完了していないことを示しているのです。
映画活動の記録「映画『MOTHER』ネタバレ感想・実話よりヤバさを抑えて描かれた凄惨な記録」(原案書籍との比較・周平の心理に関する考察)
本作が多くの映画評論家や観客から高い評価を受けたのは、単なる「毒親映画」や「胸クソ映画」に終わっていないからです。映画は意図的に原因や理由を「描かない」という手法を選びました。
大森立嗣監督は、秋子がなぜああなったのかを説明しません。幼少期に母親から愛情を与えられなかったことを示唆するシーンはありますが、詳しくは語られません。これは「悪い人間には必ず悪い理由がある、だから理解できる」という安易な説明を排除する意図があります。
本作が最も問いかけるのは「なぜ周平を救えなかったのか?」という点です。
映画の中には、周平を救える立場にいた人間が複数登場します。実父は「お父さんのところに来るか?」と一度だけ声をかけましたが、実行しませんでした。秋子の両親(祖父母)は孫の周平が金の無心に来る姿を何度も目撃しましたが、秋子を追い払うだけでした。そして保護司の亜矢は懸命に支援しようとしましたが、秋子の妨害と転居によって繋がりを断ち切られました。
これが本作のテーマです。「1人の悪い母親が起こした事件」ではなく、社会全体の無関心と介入の難しさが重なり合った結果だということです。
「居所不明児童」という問題は今も現実に存在します。文部科学省の調査によれば、住民票はあるが就学状況が確認できない「就学不明児童」は年間数千人規模で把握されており、その背景には貧困・ネグレクト・DV逃避などが複合的に絡んでいます。
映画は「特殊な怪物母親が起こした特殊な事件」として完結させることを拒んでいます。原案書籍の著者・山寺香記者も「この事件は特殊な少年が起こした特殊な事件ではないのではないか」と述べています。普通の家庭でも、学校でも、支援の手は届かないことがある。この問いが、映画を観た後もずっと尾を引くのです。